D研究者のキャリアに関すること
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2020/01/10

「英語のロジックで書く」第3回

英語の壁を乗り越えたい、研究成果を世界に向けて発表したい-そのためのヒントをきくインタビューシリーズ。第3回は鈴木基史先生です。

第1回カール・ベッカー先生第2回家入葉子先生  第3回鈴木基史先生(この記事)  第4回ジェーン・シンガー先生

公共政策大学院/法学研究科鈴木基史 教授

1982年法政大学経済学部卒業。1987年サウスカロライナ州立大学修士課程修了。1990年同大学より博士号取得。1989年ノーステキサス大学講師、1990年同大学助教授、1994年関西学院大学助教授、1997年同大学教授を経て、2002年より京都大学大学院法学研究科教授。専門は国際関係論、国際政治経済論。

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国際的な学術誌に掲載されるために

若い研究者が国際的に研究成果を発表する、そのはけ口というのは、大概は国際的な学術誌ということになりますが、学術誌には大抵査読がついている。それをクリアして、学術誌に掲載されるためには、国際的な英語研究論文のスタイルに近づける必要がある。そのためのポイントがいくつかあります。

演繹的スタイル

一点目は論文構成です。研究の問いから始まって、結論―その論文で何が言いたいか―がきて、理論、方法論、詳細な分析方法に即した分析結果がでてくる。即ち、学術誌の論文の構造というのは、一般論から始まって各論にいくという演繹的論理スタイルです。

一方、日本の学会誌では、そのような演繹的論文スタイルが必ずしも一般的ではありません。むしろ逆で、帰納的なものが多い。各論があって、それらからなにかしら一般論を引き出そうとする。それは英語の学術誌の世界では通用しない。英語の論文スタイルに慣れた研究者からしてみれば、帰納的な思考スタイルは非常に回りくどい、結論までいくのに何十ページも読まなければならないということになる。それでは査読で最初から落とされる可能性が高い。演繹的思考スタイルに慣れる、即ち日本語の文をさかさまにするくらいの勇気が必要になります。

既存研究の整理

二点目は既存研究の整理です。学術誌では既存研究の整理というのが重要ですが、ネットでの情報発信が一般化している現代の状況においてウェブ上の学術誌の数がこの二十年、三十年で急増しています。一つの研究領域でかなりの数の国際的な英語学術誌がある。そこに掲載されている論文を整理して、分類して、既存研究の問題点を発掘しながら、じゃあ私の研究の問いはそれらを踏まえるとこうなる、という既存文献の整理が以前よりも格段に多く必要になっています。ということで、既存研究の知見と欠陥をうまく整理する、そういう技術が必要になっている。英語の世界になると、カバーしなければならない既存研究の数が多いため、それに惑わされないで効率よくまとめていく技術が必要になります。

研究の目線

三点目は研究の目線です。日本の学会では、ある特定の領域を俯瞰するとか、大きく見るとか、既存の理論を大上段から切るなんていう研究があって、若手研究者がそれに挑戦するということが度々あります。けれども、国際的な研究環境でそれするのは非常に難しい。分析が非常に精緻化されている現代の学界の状況においては、大上段の議論を発しても、よほどうまく構築されていない限り、海外の研究者から見向きもされないことが多いです。

既存研究に目線を落として、そこの知見はなにか、問題点はなにかということを洗い出した後に、持論を展開するという緻密な研究の段取りが必要です。このことは、以前に増して言えると思います。実際自分の論文を学術誌に掲載しようとなると、現実的に思考を変えて、既存研究を掘り下げて、その欠点、知見を踏まえた研究を行うことが必要になると思います

場合によっては、国内向けの顔と国際向けの顔という二つの研究スタイルが必要になるかもしれません。研究者、教育者としては二重の手間がかかるわけですけれども、両立させようと思ったらそういうことをせざるをえないのかもしれない。なかなか一つのやり方で日本と世界を両股にかけて教育・研究をうまく行うというのは難しくなっているというのが実感です。

投稿規定のハードル

若手が自分の研究を国際的に発信しようと思ったら、まず査読付きの学術誌に投稿しないといけない。でも、投稿が非常に難しくなっています。学術誌の投稿規定に合わせて、論文の形態を修正しないといけない。内容の問題も当然ありますが、形式の問題も結構大変です。書式をちゃんと合わせないといけない。さらには、自分の分析結果の頑強性チェックrobustness checkを補論appendixとして提出しなきゃいけない。データも再分析可能なかたちで提出しなきゃいけない。というふうに、投稿規定が非常に厳しくなっています。規定にあわないからと門前払いになる場合もあります。

研究室内、研究科内で、投稿規定に関わる情報を共有する。もしくは、RAを雇って、RAは投稿規定をよく理解して筆者の手助けをする。そういう研究チームみたいなものを作らないと、国際化というところで非常に後れをとってしまいます。

共著論文

チームで研究するためには共著論文の業績も、積極的に認めないといけません。文系では、助教審査であれ、准教授、教授審査であれ、単著というものを非常に重要視する傾向にあります。ところが、今日、私の領域の国際学術誌に載っている論文っていうのは、共著が非常に多くなってきている。投稿規定が厳しくなっているのが一つの要因です。頑強性チェックだとかデータの提出だとか、非常に多数のことが要求されています。一人の研究者がそれらの仕事をすべてこなすことは非常に難しい。ですから、共著を業績として積極的に認めることが、大学においても重要になってきます。助教審査にしろ、単著じゃないとだめだと言ったら、国際的に研究発信するという道は閉ざされてしまいます。だから、共著を積極的に認めて、研究室内、研究科内で国際学術誌の投稿規定をよく知っているRAなどを育成していくことが必要とされています。

国際的に活躍する若手研究者

国際的な活躍を希望して、日本の学会とは距離を置くという30代、40代の研究者が徐々に増えていることは確かです。どちらか一つを選択するというのも一つの選択肢としてあるし、両方をやろうという人もそれはいる。その人の研究スタイルにもよるし、将来的な人生設計にもよります。

大学としてはどうバランスをとっていくか? 国際的な領域に身を挺している研究者をやはり見捨ててはならないと思います。彼らは彼らなりに頑張っていて、日本の研究界と距離を置いて国際的な舞台で活躍することを目指して真面目に考えてそのような選択をしたということで尊重すべきだと私は思います。

私は20代の頃アメリカにいたので、そもそも日本語の研究の世界は知らなかった。知らなかったのがよかったのかもしれないですね。英語の世界しか知らず、その世界で突き進むしかなかった。その点迷いはありませんでした。

京都大学で研究している若い研究者には、日本語の世界と、国際的な外の世界が必然的にあるわけです。その二つを両立させていくのか、または一方に徹して研究を行っていくのか、選択しないといけない場合がある。そこでの立ち位置、今後の自分の研究生活、若い人だったら30年以上あるわけで、それをどうブランディングしていくか、設計していくかが一つの課題としてあるのだと思います。

国際学会の魅力

私も国際学会に半年に1回くらい行きますけれども、そこで触れるもの、話す相手、そこで受ける様々な刺激っていうのは、日本では得られないものがあります。自分が目立つということではなく、そういう新たな刺激を受けて、自分の新たな研究の方向性がひらかれていく。研究者としてそれは一つの感動というか、研究をやっていくうえで非常に重要なポイントだと思います。日本にとどまっていても、それなりにいいことは当然あり、それを否定するつもりはまったくありません。ただ、今後日本全体が国際化という道をさらにいっそう進んでいこうとしたら、国際舞台で活躍するという人が増えてきてもそれは必然的なんだろうと思います。

これからの研究評価

私は日本学術会議という内閣府の一機関において、今後の研究はどうあるべきかを考える分科会のメンバーを務めています。そこで行われている議論では、日本の学問をいかに国際化するか、それに関係する研究業績の評価法はいかなるものであるべきかなどを課題として検討しています。現時点の評価法だと国際的に研究活動を進めることが不利な部分もあります。

でも、そういう既存の評価法が将来的にも続くわけではありません。評価法もおそらく変わっていく。もっと国際的な研究というものが重視される評価法になっていくとするなら、国際的な活躍をしようと今現在考えている人が、将来損をすることはないように思います。

評価してくれる研究機関にいけばいいというのも一つの選択肢だと思います。ある特定の研究機関ではやはり日本語重視だということになれば、そこを選択せずに、他の評価してくれる研究機関に移る。研究者が合理的判断で研究の拠点を決めるならば、いい研究者がそういう評価をしてくれる研究機関に集まっていくわけで、そうすればその研究機関の国際的名声が高まって、いい学生もそっちに流れていく。個々の研究者の判断というのは、私はやはり重要だと思います。むしろ大学は選ばれる側になる可能性もある。今もう学生に選ばれる側に大学は立っています。研究者にとっても選べる大学になるのかもしれない。いい研究者を集めようと思ったら、それなりの評価をしない限り、いい研究者は集まらない。

若い人は今の評価法を見るより、5年先、10年先を見て、今後の評価の変化に対応できるように自分の研究スタイルを決めたほうがいいのだろうと思います。

英語のロジックで日本語の論文を書く

古い形態の研究スタイルに慣れている研究者から、英語スタイルの論文はナンセンスである、日本の本来スタイルではないという評価を得る可能性がないわけではありません。でも、分野によっては、英語国際雑誌に近い形態の論文が掲載されている雑誌も少なからずあります。学術誌、研究領域によって論文スタイルが違うので、海外のスタイルに近い論文を掲載している学術誌を狙って投稿していくというのは、比較的短期間に業績を挙げたい若い人にとって実際的な取り組みだと思います。

若手へのメッセージ

最後は精神的なもので、自分が国際的に活躍できると勇気をもってください。京都大学の研究者であればその素養は絶対にあるはずなので、あとは自分がどの程度やる気になるかだけだと思います。

もう一つは、そういう環境に自分を置く、国際学会に足を運んで、いろいろなパネルに参加して、自分をならしていく、その地道な努力です。飛行機に乗って一週間かけて海外に行くのは大変かもしれないけれども、それが数年後には結実していくと思います。その勇気をもつ、時間をつくる、そのための科研費を獲得する、そういう努力が必要となります。

聞き手 アーロン・ヴィットフェルト、小泉都;2019年5月22日インタビュー