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2019/12/24

「英語のロジックで書く」第2回

英語の壁を乗り越えたい、研究成果を世界に向けて発表したい-そのためのヒントをきくインタビューシリーズ。第2回は家入葉子先生です。

第1回カール・ベッカー先生  第2回家入葉子先生(この記事)  第3回鈴木基史先生第4回ジェーン・シンガー先生

文学研究科家入葉子 教授

1987年九州大学文学部卒業。1989年同大学修士課程修了。1993年セント・アンドリューズ大学より博士号取得。1993年日本学術振興会特別研究員、1994年神戸市外国語大学専任講師、96年同大学助教授、2002年京都大学大学院文学研究科助教授、2007年同研究科准教授を経て、2013年より同研究科教授。専門は英語史、歴史社会言語学、コーパス言語学。

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京都大学教育研究活動データベース

スコットランドのセント・アンドリューズ大学への留学、博士号取得

最初は1年くらい海外に行きたいという動機だったんですけど、周りがみんなそこで学位論文を書いていて、長く滞在してもいいかなという気持ちになりました。小さな町で、みんな町のなかに住んでいて、町全体が大学町というアカデミックな環境のなかで自然と成長できました。文献取り寄せなどがシステマティックにできるようになっていましたね。

最初に書いた英語論文

本格的な英語論文を書いたのは留学してからです。それ以前には日本語で2本くらい書いていました。

英語で書く時は英語で考えているか

たぶん直接英語で考えています。メモは日本語で取ることもあります。イギリスにいた時は、英語しか入力できないパソコンだったので、メモも英語で取っていました。文章は最初から英語で書いていきます。

日本人が英語で論文を書いた時にありがちなこと

自由に書いてもらってかまわないんだけど、やっぱり書き慣れていない人が書くと、わからないということはあります。どこがポイントかわからない。文法的に何にも間違ってないんだけど、わからないってネイティブスピーカーが言う、そういう英語になってしまう。なんか通じないっていうのはあるんですよね。

英語で書けるようになるためには

最初から英語で書くというのをガンガンやらないとだめなのかなという感じがします。どうしたらわかりやすくなるのかは私にもわからないのですが、やっぱり書いている量なのかな。読んでいる量と書いている量なのかな。

パワーポイントってオーディエンスがいるのを前提にしているから、論文の組み立てにあれを使ったらいいかもしれない。聞いている人がいるっていうのを前提に、パワーポイントを組み立てて、順番を入れ替えてってしてるうちに、論文のほうもできてくるかもしれない。

論文の書き方(構成)の多様性、パターン化の問題

読んでいる絶対量が増えてくると、パターンがいっぱい頭のなかに入ってくるっていうのはあります。英語で書いている人でもいろいろな書き方があるなって思います。分野の慣習みたいなものもあったりしますよね。ざっくりとした印象なので違うという人がでてくるかもしれませんが、私の印象としては、イギリス、ヨーロッパは自由に書いていて、けっこう個性がある感じがするんですね。それに対して、アメリカのほうはトレーニングをどこかで受けているのかな、パターン化された書き方、最初にイントロダクションでは何を書いてっていう決まったパターンを習得していて、みんなそれで書いていくっていう。分野によって違うかもしれないけど。イギリスのほうは、けっこう好きなようにみんな書いていて、私はそっちのほうで教育を受けているからかもしれないけれど、そっちのほうが面白いんです。だから、あんまり「英語的な書き方」っていうのを強調しすぎてパターンになっていくと、それってどうなのかなというふうには思いますね。その書き方に慣れている人っていうのは、論文を査読したりするときに、そのパターンになってないっていうだけでだめって言ったりするんだけど、アイデアが面白いってことが大事だと私は思うんです、書き方のパターンが多少違っていても。

伝えることの教育

トレーニングをあんまりやりすぎると、型にはまったアウトプットになってそれは面白くないと思うんですよね。もうちょっと自由にいろんなものを発信させる。そういうことが今増えてきていると思います、学生もだいぶ変わってきているので。別に国際的でなくても、友達にでもいいので、小さいうちから発信するっていうのが大事なんじゃないかな。

日本の教科書の作り方は親切、答え方がわかりやすい質問が多いのに対して、ヨーロッパの語学の教科書にはこれどうやって答えたらいいのっていう設問が多かったような。そういう教科書だと教えるほうもいろいろ考えなきゃいけないんじゃないかなという気がします。

学術雑誌の選択

日本の雑誌にも簡単に載るものもあるけれど、極端に厳しいものもあって、そんな雑誌に出すくらいなら、海外の雑誌に出してみたらいいんじゃないかな。ただ、英語学みたいに研究者人口が増えてくると、1人1人がやっていることが狭くなることがあって、海外の雑誌でもピアレビューが的外れなことがけっこうあります。

ネイティブスピーカーによる英文校閲

内容がわかっていない人がやると、ぐちゃぐちゃになるんですね。私は、本当におかしいところだけ直してくれる、極力直さない人に頼んでいます。

大学のライティングセンター

アメリカの大学ではライティングセンターで、母語話者からチェックを受けられると聞いたことがあります。新しい研究内容が含まれている情報を本当はよその業者に出したくない。大学内で相談できるところがあれば有難いなと思います。

出版のマーケット、インセンティブの問題

理系だと状況が違うのかもしれませんが、英語で書くことがエンカレッジされていない、システムが後ろ向きなのでわざわざ英語で書かなくていいっていう。逆に、書こうとするとけっこう苦労が伴うんですよね。たとえば本なんかでも、出版社が海外とどれくらい取引をしているかっていう話になったときに、海外とは取引をしていませんっていう出版社もたくさんあって、そうなると出版社自体も変わってもらわないといけないというところがあったりする。日本のマーケットってけっこう大きいので、日本語で書いているほうが読んでもらえるっていうことはあります。 英語で書くと日本の人に読んでもらえないかもしれませんからね。

システム構築

私が頑張ってほしいのは出版社とか、そういうところです。日本の出版社が英語の本を出してくれるとか、ちゃんと販売できるルートがあるとか。そういうシステムがあれば、本当は海外の出版社から出さなくていいんですよ。「日本の出版社が英語の本を出してもどれだけ海外で読まれるか」って思うから、みんな出さないんだと思うんですよね。日本の場合には人口も多いし、日本語で出したほうが売れるっていうそういう状況が今まであったと思うんですけど。

インパクトファクターが高いジャーナルに出すことも大事だと思うけれど、インパクトファクターが高い雑誌をつくるとかすでにある雑誌のインパクトファクターを高めるといったシステム構築、そっちに興味があります。システムは全部人につくらせていると、いつまでたっても一歩前に出ることができない。日本も先手をとるほうにいかないと。たとえばいいジャーナルを育てるとか。

国際学会での貢献

国際学会に行って、コミュニケーションをとることは大事です。ネットで何でも手に入るようになってきたけれど、逆に手近にあるものを使うようにもなっています。こういうことをやってます、というのを言わないと気づいてもらえません。時々、発表をして、顔を見せておくというのも大事かなという気がしますね。

常に学会に行って印象づけておかないとマージナルなところに置かれるっていうのはやっぱりあります。ヨーロッパの学会に行くんですけど、そのなかにコミュニティができていて、気がついたら周辺に置かれているっていうのはやっぱりあって。私たちにも責任があって、発表もするし、司会も頼まれればするけれど、フロアから手を挙げて発言したりしない。やっぱり発言して印象づけていかないと。研究の流れができていく過程に、自分たちがコントリビュートしないといけません。

聞き手 アーロン・ヴィットフェルト、小泉都;2019年5月16日インタビュー