「英語のロジックで書く」第4回
英語の壁を乗り越えたい、研究成果を世界に向けて発表したい-そのためのヒントをきくインタビューシリーズ。第4回はジェーン・シンガー先生です。
第1回カール・ベッカー先生 第2回家入葉子先生 第3回鈴木基史先生 第4回ジェーン・シンガー先生(この記事)
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編集、出版、教育に関する経歴
大学教員になる前は、東京や京都でジャーナリズムや広報、とくに編集に関わる仕事をしていました。新聞、商業雑誌、書籍、学術雑誌と、商業的出版物から学術的出版物まで編集してきましたよ。フリーランスのライター、編集者として働く傍ら、約7年間いくつかの大学で非常勤講師や常勤講師を務めた後、2010年に京都大学のテニュアの准教授になりました。大学でアカデミック・ライティングの授業を数多く教えてきましたし、ここ地球環境学堂・学舎でも研究室で大学院生たちの論文執筆指導、またAcademic Writing Strategiesの授業を受け持っています。Routledge社から最近出版した3冊の本では編集に大きく関わりました。ですから、執筆者としての経験と編集者としての経験を持ち合わせています。
最近出版した本のうち一冊には、研究者やNGOのスタッフなどの日本人執筆者が名を連ねています。研究者ではない執筆者のなかには一つの章を自分では書けないという人たちがいたので、各部の最初はインタビューによる章にすることにしました。この次善の策はうまくいきました。章の一部を私たちが作成して、執筆者に修正してもらうことになったケースもありました。日本、欧米、アジアの他の国の人たちと仕事をしてきた経験からいうと、日本人の執筆者の方がハードルが高いと思います。
英語のレトリックと日本語のレトリック
英語と日本語の文章のアプローチの違いとしてよくお話する、交換留学生として日本に来た大学3年生の時の経験があります。東京の大学で日本に関するいくつかのコースを受講したところ、学期末にレポート課題が出されました。私はそれまでとても優秀な書き手で、エッセイやレポートを提出するといつもよい評価を受けていたので自信満々でした。ところが、BやCといった評価が付けられたレポートが日本人の教授たちから返却されて、ショックを受けました。どうしてなのか尋ねたところ、一人の教授がこう説明してくれました。「あなたはたくさんの情報を書いているけれど、構成が単純化されすぎです。はじめにあることを述べて、次のセクションでも要点を繰り返して、その後でも対立する考えをまったく示さずに同じことを繰り返しているでしょう。」 この時に、日本語で書く時には英語の時とは違うアプローチがあるに違いないと気づきました。
長年に渡って日本語の文章に影響を与えてきた、いくつかの種類の日本語のレトリックがあると聞いています。ひとつは起承転結というものです。起承転結では、まずある考え方を導入・展開して、その後に新しい考え方や相反する考え方を示して、最後に議論を統合します。こういったタイプの文章は、明確で一貫性のある主張に慣れている英語圏の読み手にとっては、とても曖昧に感じられたり、理解しにくいと感じられたりするかもしれません。理想的な形の英語の学術論文は、まずイントロで命題と論文の構成を示し、本体でデータと議論によって命題をサポートし、結論でこれらの議論を要約して繰り返します。このようなレトリックは洗練されているとはいえないかもしれませんが、とても直線的で首尾一貫しています。対立する考えが引用されることもよくありますが、たいていは反論するためです。
現在の日本の学生や研究者のほとんどは英語の学術論文の構成の仕方を理解していますが、上述の伝統的なレトリックのあり方から影響を受けているかもしれません。私の授業では、一つの命題や仮説に焦点を合わせて、一貫してこれをサポートする必要性を強調しています。もちろん、日本人だけが英語のアカデミック・ライティングと異なる伝統的なレトリックを持っているわけではありません。たとえば、私の経験ではラテンアメリカ出身の学生は主題を離れて冗長になりがちで、技巧的になることもあります。時には優雅にもなりますが、主題から逸れてしまうこともあります。書いたことの半分を削って、主題に戻るように指導しなければならないかもしれません。
日本人が学術論文を書く際に課題となるポイント
直線的なレトリック 上述の通り、英語のレトリックはとても直線的です。主張しようとすることを導入して、本体でそれを説明して、結論で主張したばかりのことを要約します。くどく感じられるかもしれませんが、アカデミック・ライティングは明確で首尾一貫した議論を求めているのです。
抽象的な議論 自然科学の場合、論文の中心はデータですが、社会科学の場合、考えを明確に直線的に示す必要があるので難しいかもしれません。日本人の書き手はしばしば、イントロでは問題なく、方法論と結果はとてもよく書けて、でもディスカッションでデータを掘り下げて抽象的な議論しようとすると問題にぶつかってしまいます。
独自性 論文が採択される基準には、研究の独自性と意義を証明できることがあります。このためには徹底した先行研究のレビューと自分の論文が埋めようとする研究上のギャップを指摘することが必要です。
学術的な文章を書くにあたってのアドバイス
コースの受講 これまでにアカデミック・ライティングの指導を受けたことがないのなら、ライティングのコースを受講するのはとてもよいと思います。非常によいアカデミック・ライティングのテキストもあります。
文章を書き始める前にアウトラインを書く 私はいつも、よいアウトラインを家の設計図に例えます。どう部屋を配置するか、どう一階から二階をつなぐか、どう各階を支えるかなどを決める必要があります。設計図なしで建てた家は崩壊するかもしれないのと同じように、アウトラインによる支えと方向性がないと論文の議論は崩壊してしまうかもしれません。
他の人に読んでもらう 原稿を書き上げたら投稿する前に、できるだけ多くの人に見せて、できるだけたくさんの意見をもらいましょう。論文の構成や論理の飛躍、特に外国語で書いている場合は文章の書き方についても助言をもらうことが大切です。
ジャーナルについて調べる 自分の論文に適したジャーナルを見つけるための時間を惜しんではいけません。みなさんインパクト・ファクターを考えますが、他にも考慮すべきことはあります。例えば、それぞれのジャーナルの投稿から掲載までにかかる時間を調べるべきです。しっかり定期的に発行されているジャーナルをお勧めします。インパクト・ファクターが高いのに年2回しか発行されていないジャーナルだと、数年先に掲載する分まで論文が集まっているかもしれません。反応がとても悪かったり、査読に6カ月かかったりすることもありえます。大手出版社とつながっているジャーナルであれば、規則的に仕事をする専属スタッフがついている場合があります。逆に、とても忙しい大学教員が無償の労働として時間があるときに運営しているジャーナルでは、査読も遅れます。自分の研究トピックに関係する特集号を探すのもよいかもしれません。編集者はそのトピックに関する一定の数の論文を限られた時間で集める必要がありますから、若手研究者にとってはとてもよい機会になります。もしリジェクトされても諦めないでください。誰でもリジェクトされますし、単にトピックが合っていなかった、もしくは似た論文を掲載したばかりだったというだけのことかもしれません。あなたの研究課題にもっとも適したジャーナル、よいフィードバックをくれ、論文の修正を助けてくれるジャーナルを見つけましょう。
英文校閲 英語の非ネイティブの人たちがよく、お金を払ってまで書いたものを修正してもらうべきかと尋ねます。もしその余裕があるのなら、答えはイエスです。査読者は英語の質は採択の主要な基準ではないと考えているかもしれませんが、どうしても論文の見方に影響してしまいます。もし非常によい英語に見えたなら、どう言われているかではなく、なにが言われているかを査読者が真剣に見る可能性が高まります。
大学ができること―英語によるアカデミック・ライティングのコース―
ひとつ大学ができることは、学部生にアカデミック・ライティングのコースの受講を義務付けることです。例えば、アメリカの多くの大学では、学部1年生に作文のコースを受講することを義務付けています。日本の学部生も卒業論文をどう構成するかある程度指導を受けますが、より早い段階で学べることがたくさんあります。ひとつのシンプルな提案は、そういったコースを必修にすることです。学部の上級生や大学院生を対象とする場合、出版のプロセスに関する学習もコースの一部とすべきです。
国際的に活動する
日本の研究者が国際的な場に出ていくこと、英語で書くことはとても重要です。日本にいるだけでは、あなたの考えを広く伝えることはできませんし、あなたの分野の他の人たちの議論に影響を与えることもできません。出版もせず、研究集会にも参加しないようでは、いろいろな機会を逃してしまいます。
学生や研究者が、日本で発達した理論的枠組みで日本の外では知られていないものを、国際誌に投稿する論文で大きく取り上げようとしたとします。その際に、なぜ国際的に知られている既存の枠組みよりその枠組みのほうがよいのかを説明するのは大変です。もちろん、国際的にあまり知られていない素晴らしい枠組みや理論はありますが、国際誌の査読者ははじめは懐疑的でしょう。
大学は英語で出版したり発表したりすることを後押しすべきです。より国際的に活動することに対する報酬やインセンティブが必要かもしれません。これは単に大学ランキングの問題ではありません。国際的な対話に加わることが重要なのです。ご存知の通り、中国、韓国や他の国々は国際的な存在感を増しています。日本人ももっと積極的な役割を担うのを見たいと思っています。
聞き手 アーロン・ヴィットフェルト、小泉都;2019年6月7日インタビュー