解決のヒントをくれるのはこの人!
文部科学省科学技術・学術政策研究所(NISTEP)で政策科学を研究し、オープンサイエンスの実現に向けて取り組む林 和弘 上席研究官が答えてくださいました。
科学技術・学術政策研究所 科学技術予測センター 上席研究官。1995年ごろより日本化学会の英文誌の電子ジャーナル化と事業化を大学院時代のアルバイトを端緒に行う。電子投稿査読,XML出版,J- STAGEの改善,電子ジャーナル事業の確立と宣伝活動など,幅広いフェーズで実務に基づき考察と改善を加え,当該誌を世界最速クラスで発行する電子ジャーナルに整え,2005年にはオープンアクセス対応を開始し,電子書籍(ePub)対応の技術立証も行った。学術情報流通を俯瞰した経験を生かして日本学術会議,SPARC Japanなどを通じて日本発の情報発信をより魅力的にするための活動を行い,電子ジャーナルの将来と次世代の研究者コミュニケーションのあり方,およびその先にある科学の変容(デジタルトランスフォーメーション)について興味を持つ。2012年より文部科学省科学技術・政策研究所において政策科学研究に取り組んでおり,科学技術予測調査に加えてオープンサイエンスのあり方と政策づくりに関する調査研究に取り組んでいる。内閣府,日本学術会議,文部科学省,G7科学技術大臣会合,OECD等の委員会やプロジェクトにおいてオープンサイエンス専門家として活動。京都大学アカデミックデータ・イノベーションユニット構成員。
政策に描かれるオープンサイエンスとその可能性
近年よく耳にする「オープンサイエンス」とは何でしょうか。
林:例えば、内閣府の「国際的動向を踏まえたオープンサイエンスに関する検討会」によると、オープンサイエンスとは「公的研究資金を用いた研究成果について,科学界はもとより産業界および社会一般から広く容易なアクセス・利用を可能にし,知の創出に新たな道を開くとともに,効果的に科学技術研究を推進することで,イノベーションの創出につなげることを目指した新しいサイエンスの進め方」と定義されています1。これは狭義の意味でのオープンサイエンスです。政策文書なので、政策でのオープンサイエンスが論文のオープンアクセスから研究データの再利用へと拡張してきたという背景もあり、その文脈に引き寄せられている部分があります。ということで、広く一般的に通用するオープンサイエンスの定義はまだなく、後半の話にも繋がりますが、私は「オープンサイエンスはICTによるデジタル化とネットワーク化された情報基盤とその基盤が開放する膨大で多様な情報を様々に活用して科学研究を変容させる活動であり、産業や社会を変え、科学と社会の関係も変える活動(Movement)。」と説明するようにしています。
では、オープンサイエンス政策が指すデータにはどのようなものがあるのでしょうか。
林:狭義の意味でのオープンサイエンスが指すデータとしては3つが考えられます。1つ目は「論文のエビデンスデータ」です。研究者のエコサイクルに深く根差している研究成果としての学術論文のオープンアクセスは世界の基本路線になっており、その一方で論文の透明性や公平性が問題になっていることもあり、先程の定義が記された内閣府の文書には、「公的研究資金による研究成果のうち、論文及び論文のエビデンスとしての研究データは、原則公開」と記されています。
2つ目は統合イノベーション戦略等で対象にしようとしている、「研究成果としての研究データ」、あるいは「研究プロセスの中で生まれる研究データ」で、先の内閣府の文書でも論文のエビデンスデータに加えて「その他研究開発成果としての研究データについても可能な範囲で公開することが望ましい。」としています。
この2つ目までは比較的イメージしやすいのですが、究極的に描いているビジョンに現れると考えられるのが3つ目のデータ、すなわち「研究活動のログと付随して産出されるデータ」です。論文等の出版物といった、研究プロセスの中でかなり後半に生まれるデータから、どんどん上流工程にさかのぼって着想の段階からの活動ログが取れれば、どういう研究費を獲り、どういう研究者を集め、どういう実験をして、どういう結果が出て、どうまとめて出版したかがわかります。そしてそのログにデータへのロケーター付与し、ログをネットワーク分析することによって、ある研究にいつ誰がどう貢献したかがわかります。これがオープンサイエンスパラダイムの研究活動評価の一つのイメージで、このような多様なアイテムから構成されるネットワークをベースに研究活動全体を俯瞰して研究評価を行えば、論文数や被引用回数、特許数といった比較的数えやすいものだけで評価されている現状よりは健全なものになるでしょうし、これまでは隠れていたデータ作成者などの貢献者を正当に評価でき、研究支援者としてではなく研究のパートナーとして浮かび上がらせることができるようになる可能性を秘めています。
オープンサイエンスを実践すると、実は負担が増える!?
「研究プロセスの中で生まれる研究データ」をオープンにすることの具体的なイメージがあまり湧かないのですが、それをオープンにすると研究者にはどんないいことがあるのでしょう。
林:私の経験と知見の狭い世界の範囲内で言えるのは、まずは出来そうで出来ていない研究プロジェクトの研究者間のデータの共有です。オープンサイエンスの一番身近なご利益は今の研究の効率化です。まずは身内で研究データのマネジメントをしっかりして、日々の活動を効率化しましょう、ということです。それが研究のプロセスの「相対的」なオープン化につながります。
また、研究者が実は手間をかけたがらない「すでに終了した研究で生産された研究データの管理および公開」に着目するのも良いと思います。そのようなデータには二種類あって、1つ目は退官された人の研究データ、2つ目はもっと身近な、論文を執筆したり、知的好奇心が満たされるなどして次の研究に移った後の昔の研究データです。安心して次の研究に移るためのデータ置き場を研究機関が提供すれば、データの散逸を防ぎ、また、それを見た別の研究者が新たな研究を芽吹かせるかもしれません。さらにそれが大学間で協働していれば、異動があった時にもデータ移行等が楽でしょう。
そして一番重要なのは、まさに今世界で、どうやったら研究データが研究成果のメインメディアになり、現在の論文が果たしているような役割、すなわちその存在によって研究者の評価の向上、昇進や研究費獲得につながるような存在になれるかという議論と実践がなされていることです。着想からではなくても、まずは、研究データ流通のネットワーク分析による研究評価やインセンティブが開発されると、その情報流通活動を支える持続可能性のある事業が展開され、その標準化とともに産業に発展することが予見されます。その際、論文において起こったような、商業出版社の寡占化による価格高騰や売れる雑誌に依拠した分野設定といった、本来の科学の発展にはそぐわない歪みを生むことは避けるべきです。また日本としては、他国で作られた標準に合わせざるを得なくなって、後追いコストがかかるような状況に陥らずに済むよう、国際標準化においてプレゼンスを示し、日本でも研究データ流通を支える産業を育成していくことも考えなければなりません。今はそのチャンスがあると思っています。
やはり研究者の負担が増えるようにも思えるので、現時点では研究者がオープンサイエンスに積極的に飛び込むべきなのかどうか、よくわかりません。
林:例えば、研究者の負担にならない研究データ管理プラットフォームを作る、とは表向きには言っていたとしても、実際にアノテーションを付けたりしてデータをマネジメントするのに研究者の作業は不可欠なので、負担はかかりますよね。これは現時点ではある程度は仕方がないと思っています。ですから、その負担の先に予見されている価値を共有して共通認識をはかりつつ、サービスデザインをどう考えるかが勝負です。あとはリスクマネジメントで、どのタイミングでどう仕掛けるとステイクホルダーが傷つかないか、まずはその方向で考えるのがよいのではないでしょうか。
もう少し具体的に言えば、今まで通り研究費を使って研究ができていて、後進も育成し、さらに次の学術研究なり産業に展開できているのであれば、ICTで多少効率化できる部分はあるにせよ、それを頭から否定するものではするものではないと考えています。むしろ今まで通りの研究活動を続けてもらって、それをITの力でサポートして、気がついたらデータがクラウド等のバックエンドで管理され、研究者が好きなときに共有や公開できる状態にするのが望ましい姿の一つだと思っています。そこから、研究者が楽できるか、楽しいか、評判につながるか、そういった欲求に訴えかけるインフラとサービスをデザインし、いずれそれがないと研究できなくなるようなミニマルバイタルサービスを提供できれば、対価を払うことや一定の負担もやぶさかではなくなるわけで、研究基盤のサステナビリティにも繋がります。
繰り返しになりますが、オープンサイエンスが持つ、あるいは研究データの共有や流通が生み出す新しい価値観に急に全部取って代わられるのではなく、まずは違う価値観を付加的に共存させることが重要です。大学には、その共存をまずは認め、ひとたび価値転換が妥当となれば、それをやりきれるかが問われています。我慢比べになるかもしれませんね。
真のオープンサイエンスによって社会が変わるまでの過渡期として、”今”を楽しむ
今までのお話は政策上のオープンサイエンスのお話でしたが、最後に、林先生の考える真のオープンサイエンスについてお聞かせください。
林:私自身は政策文書に書かれているよりも広い射程で考えていて、オープンサイエンスとは「サイエンスのデジタルトランスフォーメーション」だと捉えています。オープンサイエンスのオープンとは、「知の解放」を指していると考えているので、公的資金だから全てをオープンにするといった考え方は、オープンサイエンスの一部分でしかないというのが私の立場です。
また知識情報が解放されることによって、科学と産業と社会のパラダイムシフトが起こるとも考えています。なぜならば、情報基盤が変われば社会が変わる歴史を繰り返しているからです。グーテンベルクによる活版印刷の発明と、郵送というロジスティックの整備により、手書きや写本に比較すると情報爆発と情報のオープン化が起こり、その結果として宗教革命やルネッサンスが起こり、科学が進化して物理学が生まれました。ですからICTの情報基盤によって知識を相対的にまた桁違いにオープンにできることは、パラダイムシフトの原動力であり、それに伴う社会変容は必然だと思います。
先生は、オープンデータによる「知の開放」により、どのようなパラダイムシフトが起こるとお考えでしょうか。
林:一言で言えば、データ科学等の新しい科学による知の発展が生まれ、また、科学の民主化がさらに進んで科学者と市民の境界が変り、科学研究のスタイルも変わると思っています。あと、日本としては西洋科学文化の輸入から脱却し、オープンサイエンスパラダイムの科学資本や科学哲学を自ら創り出す主体になれるかもしれません。これはアジア全体が持つチャンスですね。
ただ、そうなるのはまだまだ先のことで、例えば自分の目の黒いうちにその時代が簡単に訪れるとは正直思いません。人の行動変容は世代交代を経る必要がありますし、法律を含む社会制度など、テクノロジーだけでは解決できない問題がたくさんあるからです。先に述べた着想から公開までのログを取ることも、技術的にはすでに可能ですが、研究者が受け容れるようになるまでにはまだまだ時間がかかるでしょう。ですので、未だオープンサイエンスを胡散臭く見る向きもありますが、それは歴史のみぞ知る、といったところでもあります。
つまり現在は、次のデジタルネイティブな社会に向けてトランスフォームしようとしている過渡期です。所詮過渡期なのですから、せっかくなら大学、特に若手の研究者の方には、この状態を前向きに楽しんでほしいと思っています。本来新しいパラダイムを主体的に作り出すことを楽しむのが、研究者の本来の姿なのですから。もちろん、今の大学の若手研究者が、そんな先の見えないことに手を出しづらい環境にいることは理解しています。残念な状況だと思いますが、少なくともそれを乗り越えた方には明るい未来が待っていると私は思っていますし、私自身もオープンサイエンスパラダイムを見通す活動をこれまで通り主体的に続けていきます。
2019年3月4日
( 聞き手 仲野安紗 )
1内閣府『我が国におけるオープンサイエンス推進のあり方について~サイエンスの新たな飛躍の時代の幕開け』2015年3月30日 https://www8.cao.go.jp/cstp/sonota/openscience/