解決のヒントをくれるのはこの人!
京都大学で40年近くにわたり研究と教育に従事され分野の第一線で活躍され続けつつ、長年にわたって大学の全学運営や部局運営で多くの役職を担当されながら、常に様々な課題に向き合って来られた佐藤亨先生です。情報学研究科研究科長などを経て、現在は男女共同参画推進室長をされています。大学で研究者として仕事をするとはどういうことか、その義務と権利についてお話を伺いました。
昭51京大・工・電気第二卒。昭56同大学院博士課程了。工博。 同超高層電波研究センター助手、工学部講師、同助教授を経て、平成10年より同大学院情報学研究科通信情報システム専攻教授。 UWBレーダによる室内環境計測ならびに大気のリモートセンシング等のレーダ信号処理の研究に従事。電子情報通信学会フェロー、 電気学会、日本航空宇宙学会、地球電磁気・地球惑星圏学会、文化財探査学会、IEEE、米国気象学会会員。
平成19年に職務内容は教授も准教授も助教も全く同じだという平等宣言が出たんです
佐藤:非常に形式的なところから始めますけれども、研究室内での仕事の仕方というと、現在の学校教育法の92条で大学における教員の職階をどう定義しているかが基本になります。これは平成19年に大改訂されたもので戦後70年の中で一番大きな改訂でした。それまでは助教授、助手は教授を助けるものであると書かれていて、当時の助手の先生は「ぼくらはアシスタントで研究者じゃないんやぞ」と自虐的に言ったりしていました。それが、今のように教授、准教授、助教に変わったのです。この文面を読むと面白くて、第6項が教授、第7項が准教授、第8項が助教なんですが、文面が全く同じ。教授は「特に優れた知識能力及び実績を有する者」、准教授は「優れた知識能力及び実績を有する者」、助教は「優れた」がついてないという違いだけなのです。これが実はすごく重要で、経験の差はあるものの「知識能力及び実績を有する者」であって、「学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する」ことが職務なのです。職務内容は教授も准教授も助教も全く同じだという平等宣言が出たわけです。
大学というのは公共市場のようなものです
佐藤:その後研究科長になって、研究者間の様々なハラスメントなどの問題を解決する側になって思ったのは、多くの教授の方々は全くこのことを意識していないということ。実は、大改訂前、10年間で教員の平均年齢が10年あがるっていう時代があったんです。戦後、特に工学系で研究ポストがどんどん増えていって、突然ピタッと止まった。それ以降は年齢だけがスライドしてずっと上がっていった時代があるんです。その時代の意識がまだすごくあるのか、大改訂以降に教授になられた先生でも、自分に決定権がある、自分が教授なんだから研究室の経費の使途についての決定権は私が持っているという感覚が非常に強いです。
企業はピラミッドであるかわりに、誰がどういう命令権限を持っていてその上には誰がいてという構成が明確でしょう。でも、大学って言うのはいわば、みんなが一軒ずつ個人商店を経営する公共市場。教授は市場の理事長のように寄り合いのまとめ役であって、みんな対等です。部局によりますが、能力に差があるからそれに応じた待遇の差はあって、多くのいわゆる基幹の研究科では、例えば人事権は教授が持つというのは正当化されていて、やはり「特に優れた」人たちの集団で決めることを許している。でも、教授は研究室の運営に関して権利があるわけではないんです。全ての根拠は92条にしかないのですから、特に若手の人は、教授がそれ以上のことを主張することは間違いであると理解する必要があります。雇用の公募の際に提出した書類は契約書みたいなもので、選ぶ側も一生懸命読みます。書いたことは実行しないといけないし、逆に書いてないことに対しては根拠として引っ張り出してくることはできると思います。でも、教授に意識がない場合には不毛な衝突になります。問題を解決しないといけない執行部やマネージメントの立場を経験すると、こういったことに関して法律を参照する機会もありますが、そうでない教授は知らずにいる可能性も高いのではないでしょうか。
気持ちよく研究活動をするのに、誰しも不毛な争いはしたくないものですが。
佐藤:不毛だというのは、倫理委員会で勧告を出し、人事部が厳密な取り決めのもとで処分し、当事者間が納得できたとしても、こうした意識が全員のものにならない限り、研究室内には根本的な問題が残ってしまうものだからです。権利のもとに対等であるということは、全員が共同体意識を持って取り組むことが大切であるということでもあるのです。
個々の研究者が好きなテーマで研究をやるということ
平成19年に若手研究者を教授から切り離したのに、“成長が期待出来る”分野への自由な挑戦が進まなかった、という内容を含む報告1が最近出ましたね。
佐藤:この報告で興味深いのは、これから成長が認められる分野に人を集めるのがいいことかどうか、というところです。今、成長が認められる分野には国から莫大な研究費が降りてきますね。そのような研究費で取り組む研究室では、全てのスタッフが普通なら滅多にとれないような研究費を継続的に採り、期限を決めて世界トップの実績を上げ続けようとしています。これは大学の役割として大事なことだと思います。でも、この競争の枠組みは92条の理念と全く逆のものです。会社組織のようにトップダウンのマネジメントで目標に向かうことになるからです。だから教授は好きなことをしていいよと言ってあげたいけれども、一人ではどうしようもない分野というのがあるし、准教授・助教もそれぞれ好きなテーマをやっていいとなると、明日から仕事ができなくなる。そこで、研究費で雇った特定プロジェクトに対する専任スタッフが必要になるというわけです。授業を担当することに対する動機は研究者ごとに異なりますが、担当の可否は権利と義務のタグ付けによって決まります。
その結果、国立大学における40歳未満の「特定」のつく研究者とつかない研究者の割合は、この10年間でが逆転しましたね2。
佐藤:特定で雇われて、次は特定でない常任ポストに就くんだというイメージで、キャリアのワンステップと考えている人は多いですね。そのイメージは正しいし、実際の運用もそうなっています。でも現実的に考えるとそう簡単にはいかない。大型研究を回す労働力として、そうした特定ポストが全くない、というのはあり得ないということはわかります。だけどその比率は逆であるべきです。そのポストからいずれは上の職階に吸収されて自由を得る、というチャンスが減ってしまうからです。教授も自転車操業だからそうした労働力としての研究者を雇うんですが、雇われた人は研究テーマを選択する権利はほぼないし、そういう研究者が大多数、メジャーであるような大学組織が回るとは思えないです。そこで先ほどの話です。政府が税金を使って重点投資をするという考え方はいいけれど、メジャーであってはならないし、そこに大きなお金をつけて他を縮めようというのは間違いなんですよ。とは言っても、工学部にたくさんポストがあるのは、世の中に役立つ仕事を期待されてるからですし、期待に沿う義務があります。だけど、その中で何が重要かは研究者それぞれが考えるようにしておいてもらいたい。例えば、今どんどん定員が減らされている分野に、工学の基礎研究がありますが、そこも育てていかないと「すぐ役立つ研究」の方も将来根絶やしになるでしょう。そうした発想は研究者の中からしか出てきません。
研究者の割合を仮に今から10年前に戻したらどうなるんでしょうか。
佐藤:大学では「すぐ役に立つ研究」ができなくなります。それをやりたい人は、企業とか国立研究所でやるといいでしょう。何が役に立つかなど30年経たないとわからないのだから、研究は非効率なものなのです。非効率が許されないなら、大学での研究は成り立ちません。
戦後の日本には重点投資などなく研究費は一律の運営費交付金しかなかった。5-600万円のお金です。それで成り立っていましたし、教授と若手は徒弟の関係であるものの、自由を与えてもいました。でも今は、何かしようと思った時に何億もする装置が必要になる時代です。Society1.03のような狩猟や農耕では生産性を上げられません。運営費交付金では装置が買えないから競争して資金を獲得する必要がある分野がある。平成19年の大改訂は大型プロジェクトを中心に資金が回るようになって、締め付けがきつくなった反動の中で研究者の人権を守る必要から出てきたものなのです。教授への締め付けが若い人への拘束に繋がらないように、ということを研究者それぞれが少しずつ念頭におかなければいけません。
研究者はひとりが当たり前、独立してやる覚悟をもつ
教授が不在で研究室には実質自分しかいなくて困っている若手研究者もいますね。
佐藤:研究室内の問題においても、教育の悩みにおいても、研究とは別の種類の相談ができる組織が必要だと思いますね。若い人には権利意識ばかり強い人もいますが、いきなり調停とかでなく、まずはそうした組織の人が色々な研究室の事例を客観的に紹介しながら話をすることで、状況を健全化できる部分はかなりあると思います。そうした相談窓口はぜひやって頂きたい。教育に関しては、これまでのように教授からのノウハウ習得は期待できないでしょうから、積極的に学内組織を活用するのがよいでしょう。
研究に関しては、まず研究費の申請書を書いてお金を取ってみることです。大学内で研究者として活動するのに必要な情報収集や考え方が身につくと思いますよ。研究者としてどう生きていくかという最初のステップです。申請書を書いて、自分に何が足りないかを知ることでカルチャーショックを受けるんじゃないでしょうか。研究者として生きていくことは他人の評価をうけることで、自分のしたいことをするのではないと理解することになるでしょう。テーマについても、プロジェクト研究でない限り、大学の中には同じテーマの研究者なんていないし、仲間などいません。今の学会はどんどん分化していますから、そこに積極的に入っていって下さい。非常に近いことをやっている人がいるものです。もしも日本にいなければ海外にも目を向けることになりますね。大学の外に出て下さい、若い時に自分でつくった人脈がその後のベースになるんです。先ほどの高額な装置の話だって、そういうところで解決ができるかもしれないでしょう。
研究者という職業を選んだら、最後は独立してひとりでやるんだという覚悟を持つ必要があります。それがないのなら企業の研究者でいたほうがいいと思います。企業の研究者には自由はほとんどないけれども、その代わり環境はよくて、お金があって、装置もあって、その代わりノルマが厳しいですよ。逆に企業から大学にきた研究者に対しては、研究者として研究開発費以外のマネジメントが必要だというので、支援するのはよいアイデアかも知れませんね。
( 聞き手 仲野安紗 )
1財務省財政制度分科会(平成30年10月24日開催)資料一覧 2.配布資料1文教・科学技術 https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/zaiseia301024.html
2国立大学協会、国立大学法人 基礎資料集 2017年度版、2018年1月30日。 https://kaiin.janu.jp/member/shiryo/
3サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、新たな社会を指すもので、第5期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として提唱された。出典 内閣府HP (https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/index.html)