意志があるところに学際研究は生まれる
-人と繋がるために「当たって砕けろ」-
古代インド文献学と情報学がタッグを組んで、誰も知らなかった古代インド社会の動きに迫るー今まで接点がなかった研究者たちが協力する学際研究に至った経緯とは? 共同研究を主導する天野恭子先生に伺いました。
1994年大阪大学文学部卒業。1996年大阪大学文学研究科修士課程修了。2000年大阪大学文学研究科博士課程退学。2001年フライブルク大学より博士号取得。2001年大阪大学文学研究科助手、2010年大阪大学文学研究科非常勤講師、2013年京都大学人文科学研究所日本学術振興会特別研究員RPD、2016年大阪大学文学研究科招聘研究員、2017年京都大学文学研究科非常勤講師を経て、2017年より京都大学人文科学研究所/白眉センター特定准教授。専門は古代インド文献学。
[ウェブサイト]
京都大学白眉センター個人ページ
京都大学教育研究活動データベース
SPIRITSプロジェクト「データ駆動型科学が解き明かす古代インド文献の時空間的特徴」サイト
共同研究紹介記事(ほとんど0円大学)
古代インドの言葉を忠実に残すウェーダ文献
天野先生がこれまで研究対象とされてきたのは古代インドのウェーダ文献の一つということですが、ウェーダ文献というのは、たくさんの文献を含むカテゴリーなのですか?
天野:はい、たくさんの聖典をひっくるめてヴェーダ文献と呼んでいます。ちょっとしたヴァリエーションをどう数えるかにもよるのですが数十程度の文献群ですね。私が研究テーマとしているのはマイトラーヤニー・サンヒターという文献ですが、共同研究ではそれと関連のあるいくつもの文献を扱います。
写本があるのですか?
天野:基本的にインドのものは口頭伝承です。一番古いものは紀元前1200年に今のかたちになったと言われています。文字や紙があったわけではないので、そこからずっと、口伝えで弟子に伝えて、その弟子がまた完全に暗記して伝えてというかたちで、ほぼ現代まで伝えられてきています。
紀元後10世紀前後にやっと紙にも書くようにもなります。私たち研究者が読むのは写本です。でも、伝承者にはこれは覚えて伝承するものだという意識があり、口頭伝承の根強い伝統があります。現代に入って伝承者がいなくなってしまう危機もありましたが、最近は伝統復活運動もあり、ヴェーダの学校が作られるなど完全に暗記している伝承者を積極的に育てるようになっています。
言葉は徐々に変わっていくものだと思いますが、伝承者が古い言葉を覚えて伝えることで、古い言葉も残っているのですか?
天野:はい。意味をわかって伝えているというよりも、音を大事にして、音を丸暗記して伝える方式なんですね。ヴェーダの伝承を崩さないために音を変えてはいけないというものすごく強い意識があります。音に対する考察は紀元前の時代から進んでいて、なまったり、似ている音の区別がなくなったりしないように、音というものを厳密に定義、考察して、それをもとに伝承していっている。だから、意味をわかって伝承しているよりも崩れが少なくなるんです。かなり古いそのままの形が残っていると思います。
ウェーダ文献の魅力
ヴェーダ文献を扱おうと思ったきっかけはどんなものだったのでしょうか?
天野:私は現在に至るまでヴェーダ文献のなかでもほとんどマイトラーニー・サンヒターばかり読んでいるんですけど、最初はパズル的な面白さだったんです。サンスクリット語って、すらすら読めないんですよ。論理とか難しくて、話題も追えない。でも、言葉の組み立て、文の組み立ては非常に緻密でしっかりしたものなんです。一文一文の解釈がほんとに難しいパズルを解いている面白さなんですね。だから、そもそもは内容の興味よりパズル的な興味のほうが大きかったんです。
でも、修士論文で読み始めて15年くらい経ってから、ふっと文献のなかにある人の生活というか、人の息遣いというかがほんの少しですけど感じ取れるように思えた瞬間があって。これは生身の人間が当時言ったりやったりしてることなんだって。そこからはこれを書いた人たちの世界ってどんな世界だったんだろうと興味が広がって、今に至ります。
一つの文献なのに、章ごとに言葉遣いが違う? 大きな発見の予感と仲間探し
では、学際研究をしようと思った経緯を教えていただけますか? いつごろ研究を構想されたのでしょうか?
天野:きっかけは、マイトラーヤニー・サンヒターを読んでいて、章ごとに言葉遣いが違うような気がしはじめたことでした。これは今まで考えられてこなかったことです。一つの文献は一つの文献として、それ以上分解するということはあまりなかったと思います。でも、言語を非常に詳しく分析していくなかで、どうしても言葉遣いの違いが感じられるようになったわけなんです。章ごとに層になっているというか、平たく言うと章ごとに違う人が書いたものを寄せ集めているのではないかと思ったんです。
けれども、それがなかなか人に伝わらなかったんですね。ただの印象だろうということになってしまう。それで、統計的なもので言葉遣いの違いを示していけないか、そうすれば客観的に議論できるんじゃないかなと考えて。今までのインド学のなかで統計を使った研究手法というのはほとんどなかったのですが、言語学など統計を取り入れている分野はきっとあるだろうなと思って、その辺りから自分でリサーチして他の分野でどういう手法でやっているのかなというのを探り始めました。
それともうひとつ、文献のなかのどこにどういう単語がどういう頻度で出てくるかっていうのをグラフで表してみたら、説得力のある図ができたんです。忘れもしない2012年の学会です。8年前ですね。自分自身も改めて、やっぱりこうなっているのか、やっぱりこの章とこの章はこのくらい言葉遣いが違うんだなっていうのをはっきりと見ることができましたし、人にも見せることができました。統計的なものを図で可視化していくと非常に議論を進めやすいなと思いました。
そこから人にコンタクトを取ってみたのですか?
天野:はい。私の考えているような研究手法に何か情報をくれるかも、という人がおられたら、ぶっつけでアプローチしました。SNSでメッセージを送るところから始めたり、研究会のような場でしたら突撃して「よろしくお願いします」というようなことを繰り返して。空振りのほうが多くて、相手にされなかったり、それ以上なかなか話が進まなかったりでした。自分自身も思いつきの段階なので、話を聞いてもらっても、じゃあ次何するっていうところまでの話にいかない。でも、そういうことを繰り返すうちに知識を蓄えていきました。
3年前に白眉に入って、やっと実質的に動き始めました。白眉に入ってからのほうが、人がまともに話を聞いてくれるようになって、話が通りやすくなりました。白眉の研究費もあるので、いろんなことが実現しやすくなってきました。
そして、科研費の挑戦的研究やSPIRITS(京都大学の学内ファンド)などの学際的な新しい研究に着手するに至ったのですね。共同研究のメンバーや協力者とは皆そういうふうに知り合ったのですか?
天野:最初、言語層とか統計的研究といったキーワードで、手当たり次第研究者を探したんですね。そうすると、師先生(花園大学 師茂樹)が漢訳の仏典に関して統計分析をして、文献同士の関係や歴史を探る研究をされているようだったんです。実は知り合いの知り合いくらいの方で、SNSで見つけてメッセージを送って、お会いしてちょっとお話したいんですっていうような突撃をして、聞き入れていただきました。師先生から相談に乗ってくれそうな方ということで同志社大学の文化情報学科の尾城さん(尾城奈緒子)を紹介していただきました。こちらの学科は、まさに情報科学と人文社会研究分野の融合を先駆けて実現している学科です。尾城さんは博士課程の学生さんで相談に乗ってもらいやすく、いろいろ勉強させてもらいました。というのも、私は情報系のことはずぶの素人でむしろ苦手分野でもあって、でも先生方と話す機会ではあまりにも素人的な質問をするのは憚られるしで、いつも緊張していたので。
夏川さん(京都大学 夏川浩明)はK-CONNEXの方で、その合宿があったときに、私も白眉の合宿の係をやっていたので参考にしたらと言われて軽い気持ちで行きました。そこで情報学の専門家の夏川さんの発表を聞いて、これは、と思い、「ちょっと話聞いてください、こんなのやりたいんですけど、できそうですか?」という感じで話をしました。興味を持って聞いてくださったので、そこからは食いついたら離すまいと思って何度も話を聞いてもらい、今の共同研究に至りました。
オリバーさん(チューリッヒ大学 Oliver Hellwig)はインドの言語の学会で、情報系が入った発表をされていたので突撃しました。ただ、そのときは自己紹介をしただけでそれ以上進みませんでした。その後リサーチを続けるなかで、サンスクリット語の自動解析プログラムを開発してる人がいると、またお名前が浮上してきたんです。コンタクトを取って、2年前のあの学会で声をかけた日本人の天野なんですけど覚えてますか、というところからまた話をして。その半年後くらいにクロアチアで開催された学会で再会した時は、やっと会えた!と感激で、すごい勢いで口説いたという感じです。そこからとんとん拍子で、現在は共同で自動解析プログラムを使ってマイトラーヤニー・サンヒターの文法解析データを作成しているところです。
京極さん(ライプツィヒ大学 京極祐希)は、人に紹介してもらいました。共同研究を模索していた当時は、とにかく誰彼かまわずに、私の計画というか妄想というか想いを語っていました。そのなかであるインド学の研究者が、私の後輩でそういうことに興味のありそうな人がいるよ、と。元システムエンジニアで今は古典サンスクリット文献の統計分析をしている人だと。それで連絡を取らせてもらって。今はプロジェクトに入ってもらって、文法解析データを使ってどんな分析ができるか、分析デザイン、試行をやってもらっています。ドキドキしながら突撃して、相手からいい反応をもらえた時は、本当に飛び上がるほど嬉しいです。
古代インドを可視化する
この共同研究が進んで研究内容が可視化されたときに、先生自身の研究がさらに進むのはもちろんとして、他の研究者へのインパクトもあるのでしょうか?
天野:他の研究者の議論が非常に進むと考えています。可視化すると全体像を共有しやすいというのは大きな利点だと思うんですね。私たちが専門でやってる研究はすごく細かいことで、一つの言葉の使い方や一つの宗教的概念がどう発展していくか、というようなことです。でも、古代インドという地理的にも空間的にも広がりがあるなかのどこの話をしているのかというイメージを人と共有することはすごく難しい。それが、全体の俯瞰、空間的、時間的なものを把握しやすくするツールを共有して、細かい議論でもこのなかのここの部分を議論しているんだというような位置づけができれば、非常に有意義な議論になるんじゃないかなと思います。大きなことを言えば、歴史学であるとか、考古学であるとか、そういった方との議論もきっとやりやすくなると思います。
グラントの申請書をお読みすると、研究の背景として古代インドの歴史について触れられていますが、これは文献学からわかったことでしょうか?
天野:実は年代に関する証拠っていうのがインドの文献には一切ありません。後代になると、歴史家がいて歴史記述の伝統がある中国やギリシャに、インドのこともある程度伝わります。たとえば、アレクサンドロス大王の東方遠征があって、そこからギリシャの人たちも入ってくるので。そういう外部との接触があってから歴史がわかりだすんですけれども、それは私たちが読んでいるヴェーダからいうと後の時代の話で、その前のインドだけの時代というのはお手上げです。だから、年代的なことっていうのは、ほとんど相対年代からくる推論なんですね。後代に出てくる確実なところから遡って、だいたいそこから何百年くらいだろうと推論してるんです。それも、私たちの議論がいつも難しいことの一つなんです。
インド・アーリア人が入ってきて、そこに先住民がいて、先住民と接触したであろうというのも推論です。考古学的な証拠にしても、たとえば壺の形式が2種類見つかったとして、その壺に誰が作りましたって書いてるわけでもなければ、文献のほうに何々の壺を作りましたって書いてるわけでもない。おそらくこっちの民族がこの壺を、先住民がこの壺をと推論することはできるんですけど、あくまでも推論です。
地名なんていうのもほとんど書かれ得ない。彼らが地名というものを詳しく位置づけていたわけでもないですし。古代インドのインド・アーリア人は基本的に遊牧移住民で、町は作らず、ずっと移動して暮らしているので、どういうふうに動いたかという直接的な考古学的証拠もほとんど出ません。
マイトラーヤニー・サンヒターの分析が成功して、今後対象とする文献の範囲が広がると、歴史に対する推論をさらに確実するようなデータがでてくる可能性もありますか?
天野:仮説がもっと進むと思います。各々の文献の分析と文献同士の比較が進むことによってなにが見えてくるかというと、人の動きだと思うんですね。文献がいくつかあるって言ったんですけど、結局それの一つ一つっていうのは人間のグループというふうに考えたらよくて、グループがいくつかあるなかで、接触したり、一つのグループが二つに分かれたり、その分かれたやつが今度は違うグループに接触したりっていうふうに、人の流れがあったわけなんです。
文献にはそういうことは一切書かれていません。ヴェーダ文献の性質上、書かれてあることは神様のことと祭式のことだけなので、生身の人間社会のことに関する記述はほとんどない。あくまでも宗教文献なので。だから内容を読んで当時の社会をわかっていこうというのは難しいんですけど、言葉遣いを中心とした細かい分析をたくさんして積み重ねて、人の流れ、イコール社会の動きを少しでも浮き彫りにできたらと思っています。
学際共同研究への一歩を踏み出すために
最後に、これから学際共同研究をやろうとしている若手研究者への励ましの言葉を。
天野:当たって砕けろで、いろんな人に出会っていくことがまず最初です。大方失敗すると思うんですけど、必ず繋がっていく人はいます。私も途上ですけれども、恐れずに出会いにどん欲にいきたいなと思っています。
聞き手 小泉都;2020年8月24日インタビュー