B分野や国・産学の境界を超えた研究に関すること
B-1 学際研究や国際共同研究をしたい!
2020/03/02

チャンスをつかむ研究者精神と大学文化

東南アジア地域研究に従事して農民の視点からものを見るとともに、世界中を飛び回りながら京都大学の国際戦略を率いる河野先生。仰望と俯瞰という視点のイテレーションは研究活動にどんな展望をもたらすのでしょうか。

東南アジア地域研究研究所 河野泰之 教授

40年近くに渡り、東南アジア地域研究に従事してきた。農民らへのインタビューは1000回を超える。現在は京都大学の国際戦略本部長と欧州拠点長を兼任し、文化圏を超えて関係を円滑に繋げる差配の手腕を奮いつつ、世界中を飛び回りながら研究活動を続けている。

研究環境、研究の多様性を保証する?

ばらばらの研究者が勝手気ままに研究をしている場所という大学像は、世界的に現実的ではなくなっています。イギリスを例に取ると、国を挙げての研究評価体制Research Excellence Framework (REF)と研究環境保証Concordat to support research integrityが対になって大学の枠組みを決めています。ヨーロッパ全体では若い研究者が主体となり、共同体Eurodocをつくってボトムアップで雇用や研究費をはじめとする研究環境について検討しています。

河野:フレームワークを標準化、明文化するのは外形的にはいいだろうけど、それだけで内部がどうにかなるものではないんじゃないかな。例えば、環境保全の世界では地域住民の権利や利益を侵さないことが重要になっている。それで、そのための理念や行動原則を環境保護団体が打ち出す。総論ではみんな賛成だけど、個々の話になると問題が噴出する。地域住民だって色々な立場の人がいる。外部からの介入によってポジティブなインパクトを受ける人もいれば、ネガティブなインパクトを受ける人も間違いなくいる。フレームワークを提示してできるのは、自らの活動の記録を取って外部に対して説明するところまでだと思うよ。

ただ、日本のことを考えてみると、大学の研究環境を保証しようという動きがトップダウンでもボトムアップでも形になっていません。京都大学も自由の学風を掲げるものの、自由や多様性が危機に瀕しているのでは、と思えることがあります。よい知らせを待っていたら、大学や研究者に命令が下されるだけという状態になってしまうかもしれません。

河野:それはある。本来、制度や場は、当事者でない誰かが用意するものではないよね

気になっているのは研究者の多様性なんです。テニュアのポジションに就いている若手の割合が減っていたり、産業界や海外から日本の大学にくる人が増えていたりと、研究者の流動性が高まっています。でも、若手研究者と話してみると、一日中誰ともしゃべりません、キャリアのロールモデルがありません、どこかへ行きたいと思いませんなんていう声がでてくる。流動性の高まりとは裏腹に、いろいろなことに挑戦しようとするという意味での研究者の多様性が小さくなっている気がします。

河野:論文を書き続ける能力が重視されているのは大きいよ。僕が30歳くらいの頃、東南アジア研究をしている同じ世代の研究者が何人かいたのに、結局僕しか残らなかった。論文の生産力という意味で僕がちょっと上だったからだろうと思うけど、研究の幅的には他の人のほうが広かった。ああいうのは問題だなと思う。研究の幅が少し小さい人が残ると、次の世代はさらに小さくなって、どんどん、尻すぼみになっていってしまうんだよね。

時代によってあるべき研究者像は変わるものですが、大学にも競争の原理が持ち込まれて、現在のそれは成果主義に基づく非常に限定的なものになっています。若手研究者はテニュアのポジションに就いた後の研究の展望を描きながらも、論文や書籍の業績を上げることで精一杯です。

河野:部局をマネジメントする立場からいうと、研究者に対するminimum requirementとして論文を重視する原則を変えることはほとんど無理になっている。大学の研究者である限り論文を書き続けないといけない。そのハードルが徐々に高くなっているかもしれないけど、そこはゆずれない。それくらい書けたうえで、広い視野、多様な関心を持っている人が残ってほしいと思っているんだけど。

自分と違う人と組んでみる

論文を書き続けるだけの自分の殻を破って、新しい研究の展開を切り開くことはできるのでしょうか。

河野:新しい研究の展開、新しい課題での研究費への応募、なんでもいいんだけど、全然違う人、研究分野や研究関心が異なる人と組んでみる。チャレンジなんだけど、二人の距離を繋ごうとするので飛躍的に視野が広がって、今まで見えなかった課題が見えてくる。1足す1が3とか5とかになる。研究費の申請書を専門の違う人と一緒に書くのはいいよ。申請書はアカデミックに考えなくちゃならないけど、社会にもアピールしなくちゃならない。両方からバランスよく考えないと研究費は取れないから。一緒に一生懸命考えるすごく良い機会になる。
多くの人が自分と近い分野の人、研究の方向性が似通った人とくっつくよね。でも、近い人と組んだって、1足す1が1.3くらいにしかならない。よく異分子を排除しようとするけど、それは絶対に損。僕は自分が考えてないことを考えてる人、自分がやれないことをやれる人を高く評価する。理性的に考えるとそうなるよ。

違う人と組むと自分が脅かされると心配なのかもしれません。

河野:絶対に脅かされない。僕が哲学の人と組んだって、僕は哲学のこと知らないから、いっぱい学ぶことがある。逆に、相手は東南アジアのことも農学のことも全然知らないんだから。だから全然問題ないと思うんだけど。ただ、接点が見つけにくいんだろうな。

自分のなかに芽をもつ、チャンスに目を開いておく

違う人との接点を見つける、違う人と組むにはどうしたらいいんでしょうか。

河野:違う人と出会うのも、接点を見つけるのもby chance。ただ、こういうことしたいなっていう芽を自分がもっていないと。いくつも自分のなかに芽があって、たまたま人と出会ったときに、おっ、これ、ここの芽とこう繋げたら面白いなって思えるといい。なんにもなかったら、チャンスを見逃すよね。
それから、人に対して好き嫌いをもってはいけない。すごいチャンスかもしれないのに、嫌いとか、苦手とか、そんなこと思ったらもったいない。できるだけ相手の長所を見る。逆に、好きだからって信頼したら、きっとひどい目に遭うよ。

ただ、やっぱり自信がないと相手の前に踏み出せないように思います。

河野:みんな、お互いのレベルを見てるから、出ていける人といけない人がいるだろうね。でも、誰しも元々自信はないもの。ちょっとずつ、ちょっとずつ、成功体験を積んで自信がついてくる。そうやって自信がついてくると、がっと出ていけるようになると思うな。

チャンスに飛び込める大学文化

京都大学でも、海外経験が豊富で、学内や学外の研究者で繋がって情報収集をしたい、新しいことをやりたいという人が増えてきています。そういう人たちは京都大学の風通しの悪さに居心地の悪さを感じていたりもするようです。

河野:研究でも産学連携でもいいんだけど、ヨーロッパはすぐに共同体を組む、アメリカは組まないけど助け合う、京都大学は組まないし、助け合わない。自由の学風とかいってみんな好きなことをしている。それが京都大学のカルチャーなんだって言われてる。みんながお山の大将になろうとする。でも研究のやり方は変わりつつある。多くの人が集まって知恵を出し合うようになってきている。ICTの発達はそれを加速している。自由の学風は尊重しつつも、自らを変えていくことも必要だと思う。

好きなことをしているといっても、先生のおっしゃるような偶然のチャンスを待っている余裕のある研究者は少ないように思います。

河野:インドネシアのブギスだった思うんだけど、「なんか美味しい話落ちてないかな」、「一発当てるような話ないかな」と思いながら、いつも、ぶらぶら動き回ってる人がいる。要は、「何か面白いことないか?」の精神だね。僕もずっとそう。明日なにしますかって、そんなことわからない。なにが落ちてるかわからないんだから。でも、周りはみんな真面目だったな、まっすぐ前だけを見ている感じだった。

確かに自分の知っている範囲でも大学内ではそんな精神をもった人にはあまり出会いません。かといって、美味しい話が落ちている場を制度としてつくるのもおかしいですよね。明日のことがわからないということから自分の研究対象を思い出したのですが、狩猟採集民って明日のことを心配しないんです。自然がなにかくれる、自分が採れなくても他の人が採って分けてくれるって思っています。自然や仲間に対する深い信頼が、手ぶらの人生を可能にしています。失敗しても周りの研究者が助けてくれると信じられたら、研究活動も変化しそうな気がします。

河野:大学文化としてできることは、そういう精神だったり、異質な研究者だったりを評価すること。そういうものに対して面白いねって、お互いに評価し続けることが大切だと思うよ。そういう努力がたとえ空回りしていても。

2020年2月6日
聞き手 仲野安紗・小泉都;2020年2月6日インタビュー